流産の記録。

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生活

どうもこんにちは、嫁です。

私は2019年7月に妊娠が発覚し、8月に流産を経験しました。

そこで今回は流産した時のことを記録として残すことにしました。

これから書くことは生々しい表現が含まれるので、苦手な方はご遠慮ください。

発覚するまで

流産が発覚する2日前から茶色の出血がちらほら、赤黒い血の塊もたまにあるような状況でした。

前回出血で産婦人科を受診した際と同じような感じでした。

病院で診察してもらった時も「茶色の出血は時間が経っているし、妊娠初期の出血はよくあることだから大丈夫」と言われていて下腹部痛もなかったので安静にして様子を見ていました。

しかし、トイレに行くと生理2日目のような粘り気のある赤黒い血が垂れ下がっていました。

すぐに病院へ電話をし、22時ごろ急きょ診察してもらうことに。

その時私は妊娠11週目

院長先生は「出血するような週数じゃないんやけど…」とおっしゃっていました。

そしてエコーで赤ちゃんを確認すると「流産してますね」と言われました…。

【稽留流産】胎内で赤ちゃんが亡くなっているが、まだ出血・腹痛などの自覚症状がなく、診察で初めて確認される流産。

赤ちゃんの心臓が止まるとそこから縮んでいくらしく、大きさから「おそらく2週間前には心臓が止まっていただろう」と言われました。

2週間前は妊婦健診を受けたばかり…そのすぐ後だったみたいです。

赤ちゃんが子宮口のすぐ近くまで下りてきていたので、そのせいで出血していたのだと説明を受けました。

子宮は赤ちゃんの心臓が止まった時点で異物だという認識に変わって、異物を出そうとする働きがあるそうです。

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今後どうするか

「今の時点で赤ちゃんがこのまま自然と出てくるのか、手術が必要なのかわからない状態」だと言われました。

不安だったら入院してもいいし、帰って最後に家族の時間を過ごしてもいいと言われ、精神がボロボロだった私は入院することにしました。

入院期間は未定…。(入院しても1週間なにも起こらない人もいるみたいです)

「もし家に帰って赤ちゃんが自然と出てきたらトイレに流さず、ラップに赤ちゃんを包んで病院に持ってきてください」と言われました。

妊娠初期の流産のほとんどが染色体異常でも、詳しい原因を調べるために胎児が必要だと。

あまりにも辛い現実…流産の事実を突き付けられ、出た赤ちゃんを箸で取ってラップに包んで病院まで持って行くなんて…とてもじゃないけど私にはできない…。

「お母さんならそれぐらいのことはしてください!この子の最後をしっかり看取ってあげてください!」と院長に一喝され初めて泣いた。

妊娠発覚して1ヶ月…とてもじゃないけど母親の自覚なんてなかった…強さがない…最後を看取ってあげるのは大事なことだってわかっていても見てしまうと立ち直れないと思った。

入院

一旦家に帰り入院の準備をして、0時ごろに入院。

血圧や採血を済ませ、あとはゴロゴロするだけと言われました。

「これからお腹が痛くなるかもしれないからトイレに行ったときは赤ちゃんが出てないか注意して」とだけ伝えられて。

流産も出産と一緒で出るまでが痛くて出てしまうと痛みも何もなくなると説明されました。

当然眠れるわけもなく、ジワジワとくるお腹と腰の痛みと戦っていました。

ちなみに腰痛は、身体が子宮の内容物を排出しようと働いているから起こるそうです。

入院中の出来事

深夜の3時ごろ横になっているとあふれ出る出血。

出血量が心配になりナプキンを替えようとトイレに立った瞬間…感じたことのない感覚が。

大きい水風船のようなものがモッコォっと出る感覚がしました。

『あ、これは出たな』って感じました。

あまりの衝撃にその場から動けなくなり、なんとかナースコールだけ押しました。

大量出血。

出血の処理をしてもらっている最中に「これかな…?」と赤ちゃんらしきものが連れていかれる…(見えなかった)

9週目くらいで成長が止まっているから大きさは2cmほどしかないと思います。

何が起こったのかわからないまま寝ていることしかできず、紙パンツを履かされ、「たぶん赤ちゃんが出たからもうお腹痛いのも治まってくるよ」と言われました。

自宅で対処できる血の量ではありませんでした。

ましてやそこから赤ちゃんを探すなんて…トイレに行く余裕すらなかったです。

本当に入院しててよかったと思いました。

さらに4時ごろ再び大量出血。(2回目になると感覚で出そうってわかります)

ナースコールの故障で反応せず、自力で呼びに行くことに。

出血の処理をしてもらってからは血圧、体温、手術に備えて血管の確保で点滴をされました。

あまりに出血が多いのでそのまま診察へ。

行く途中にも3度目の出血。

「赤ちゃんが出てたらこんな出血するのはおかしい」と診察。

赤ちゃんだと思われるものも違ったらしく、子宮の中にもいない。

赤ちゃん行方不明。

「子宮口に引っかかっている内容物をちょっと剥がしますね~」と言われ、そのまま処置へ。

出血が多く、中が良く見えないとガーゼをぎゅうぎゅう詰められたのも痛かったけど、その処置が死ぬほど痛い。

おそらくキュレットという小さいスプーンのようなもので子宮の中のものを掻き出されていたんだと思う。(子宮内膜掻爬術)

今まで感じたことのない内臓をえぐられる痛み…拷問に近かったです。

あまりの痛みに処置が終わった後汗びっしょりで貧血を起こし倒れる寸前の状態になりました(目の前が真っ暗、耳が遠くなる、息が口呼吸しかできない、自分では動けない)

遠のく意識の中車いすに乗せられ病室に戻りました。

看護師3人がかりで応急処置をしてもらった結果、意識が回復しました。

手術するかどうか

朝の9時前に手術が必要かどうかの診察がありました。

診察の結果は4時ごろの処置のおかげでほとんど内容物は出ていて、子宮内膜が残っているだけでした。

手術なしで退院決定。

退院後は子宮内膜が剥がれて生理のような出血が2週間ほどでおさまるそうです。

看護師の方に「胎盤とかは出たんですか?」と尋ねると「昨日の処置の時に出てた」って言われて『そりゃ死ぬほど痛いわ…』と改めて思いました。

手術するかもしれなかったのでお預けを食らっていた朝食を食べることができました。

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やはり個人病院のご飯はシェフが作っていて豪華でした。

退院後の心境の変化

1日目

母が仕事を休んで家にかけつけてくれました。

旦那さんも上司に事情を説明し、仕事を休んでくれました。

私は安定期まで何があるかわからない、ちゃんと育って生まれてくるかどうかわからないと思い、この1ヶ月を過ごしてきました。

そのせいか思いのほか元気で家に帰っても母と旦那さんと明るく入院中の出来事を話して過ごしていました。

2日目

元気に過ごしていたのも束の間。

実は頭が追い付いていないだけだということに気づきました。

1日目に妊娠記録アプリの記録を停止したので、今まで少しずつ成長していた赤ちゃんはお空へと旅立ちました。

それを見た途端『もういないんだな』という実感がして、夫婦で泣きました。

それから悲しいと思うことを全部吐き出しては泣いてを繰り返し、徐々に現実を受け入れていく努力をしました。

3日目以降

たまに夢だったか現実だったかわからなくなることもありました。

段々受け入れられるようになってきました。

1回目の妊婦健診で赤ちゃんの心拍音が聞けるという話だったんですが、初めての先生で心拍音を聞きそびれたんです。

『1回も心拍音聞けなかったのは悔いが残る』『心拍音を聞いていたらもっと辛かったかもしれない』と色々な思いが駆け巡ります。

残ったのはひどい生理痛とひどい腰痛のみ。

でもつまらないことで笑ったり、たまに悲しんだりそうやって2人で乗り越えていくんだなって思います。

最後に

流産は赤ちゃんの決まっていた運命であって、誰のせいでもないし、何かをしたから起こるっていうことでもありません。

本当に自覚症状はありませんでした。

流産の兆候である出血も下腹部痛もなく、赤ちゃんの心臓が止まって2週間後にやっと症状が出てきました。

自覚する頃にはもう遅かったです。

今はもう少しだけ夫婦2人の生活を楽しんで、前を向いて歩こうと思います。

みなさんの赤ちゃんが元気で育ちますように(^^)

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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